It's my life byドラゴンスネィク団

まだまだ酷暑が続きそうです。

episode 10 西田洋介

修学旅行も終わり日常に戻った。

俺は英二に言った。

「今度の土曜日だよね?時間と場所をどうするか聞いておいてよ」

英二は「今日、塾で会うから聞いておくよ。後さ、流次に言わなくちゃ行けない事があるんだよね。」

神妙な面持ちで英二が切り出した。

「どうしたん?英二に迷惑はかけないよ。売られたケンカを買うだけだし。勝っても負けても英二にはカンケー無いよ。」と返す俺。

すると英二は「また、親の仕事の都合で卒業前に引っ越すんだ。オランダに戻るんだって。」

俺は驚きを隠せなかった。

「せっかく仲良くなれたのに残念だね…」

精一杯の言葉だった。

「まだ、みんなには言って無いから…」

英二はポツリと言った。

「じゃあ日本にいる間はたくさん面白い事しようぜ!オランダに行っちゃっても忘れないくらいのさ」

「ところで相手はどんな奴?」

と話を強引に戻した。

「身長は流次よりちょっと低いかな?けど横は倍くらいあるよ。どっちかって言うと太っちょな感じ。」

「そっか、まぁやるしか無いけど、ケンカした後に英二が変にされないようにはちゃんとするよ」

そう言って、その場をしのいだ。

 

英二のお父さんはいつも家に居なかった。

遊びに行くとお母さんとお婆ちゃんが居た。

マンション住まいの俺とは違い、一戸建てで自分の部屋があり、庭もある。

子供ながらに羨ましいと思っていた。

少し離れた妹も居たが、ほとんど覚えていない。

 

5年生から一緒のクラスになり、仲良くなってお誕生日会とかも呼ばれていた。

たた、苦い思い出としてお誕生日会に呼ばれたものの、ちゃんとしたプレゼントを用意出来なかった。

ほぼ手ぶらの状態で行った。

それでも英二は受け入れてくれた。

物では無く来てくれた事に感謝された事を覚えてる。俺よりずっと大人だったんだと思う。

 

明くる日、英二が言ってきた。

「流次、今度の土曜日の2時に坂八小の隣の公園に来いってさ。」

「坂八小の隣に公園なんてあったっけ?2時かぁ昼ゴハン食べないで行った方が良いかな。

とりあえず英二はスグに帰って良いからね。」

「あと、絶対に洋介には言わないで。」

と英二に念を押した。

そして迎えた土曜日。

学校が終わり、家に帰って1番動きやすい格好に着替えて、靴も厚めのスニーカーに履き替えた。

1時を過ぎた頃に英二の家に行き2人で指定された場所に向かった。

徒歩で行ける距離だったので色々と話しながら英二と歩いた。

そして、坂八小の横の公園に着いた俺たちは初めて体験する光景を目の当たりにした。

 

 

episode 9 西田洋介

久しぶりの続編です。

 

しばらくしてから英二が俺に言ってきた。

「この前の話なんだけど、修学旅行が終わった次の土曜って言ってきたよ.どうする?」

俺は「ん?大丈夫だよ。でも洋介には言わないでね。俺も言って無いから。」

「わかった。じゃあ、相手にそう言っておくよ」

そして英二と別れた。

修学旅行は栃木県の日光に2泊3日の日程。

同区にある小学校が複数同時に行く。

近隣過ぎない程度の距離にある小学校同士で。

 

ほとんど内容は覚えて無いが観光名所を巡りやたら歩かされたのは覚えてる。

 

そして、この修学旅行で人生初となる事件が起きた。

行く先々で同区の他校と一緒になる。

当たり前のことだけど。

特にケンカとか問題を起こした訳ではない。

 

日程をこなして、宿泊先に戻り夕食やら風呂やらを経て自由時間になる。

定番のトランプやら枕投げやらで遊んで初日は寝た。

事件は2泊目の夜に起きた。

 

前日と同じく夕食やら風呂を済ませてからの自由時間。

お土産でも買って帰ろうと宿泊先の売店に向かった。

でも家族にお土産を買って帰っても兄弟も同じところに行ってるし意味が無いかなぁと。

やっぱり買わずに戻ろうとしたその時だった。

 

突然、見ず知らずの女の子から声を掛けられた。

「すみません、名前を聞いても良いですか?」

「ん?俺?ん?誰?」

疑問符しか出てこない俺。

すると、その女の子は同区の他の小学校の生徒だと言ってきた。

「ちょっと渡したい物があるんですけど」

「ん?俺に?ん?何?」

映画や漫画でよくあるケンカの始まるパターンかなと思った。

その時、たまたま洋介が側に来た。

「どうしたの?」話しかけてきた。

「別に何でも無いよ、気にしないで買い物しとけよ。でもこんなとこで万引きすんなよ」と皮肉交じりに洋介を遠ざけた。

そして俺は見知らぬ女の子に

「ごめんね、アイツ変わっててさ、で、渡したい物って何?」

すると女の子はおもむろに手紙を俺に差し出した。

受け取ると同時に女の子は去って行った。

 

んーやっぱり呼び出し状かと。

よくあるパターンだなぁと思っていたら、また洋介が近寄ってきた。

「何だったの?手紙って呼び出し?」

俺は「お前にはカンケー無いから安心しろよ、大丈夫だから。」

すると洋介は「見せてくれよ、ケンカなら一緒に行こうぜ」

俺は「見せる訳ねーだろ。お前にはカンケー無いって何回も言わせんなよ」

と言い放ち売店から部屋に戻った。

 

手紙を開けてみたら死ぬほど驚いた。

 

人生初のラブレターだった。

 

 

弱い者が夕暮れ 更に弱い者を叩く

すっかり時事ネタばかり書くようになってしまったが致し方ない。

書きたい事がそっちに行ってしまう。

 

繰り返される虐待。

躾と言う言い訳で己のストレスを抗う事の出来ない幼き身体に容赦無くぶつける。

余りにも不憫に思う。

1番護るべき人間から受ける裏切り。

 

頼るべき相手、手を差し伸べる相手は必ず居たハズだと思う。

徹底して定められたルールを守るのが役所なのにルールを破った為に起きてしまった。

 

何年か前に神奈川でもストーカーから逃れるために転居を重ね落ち着いたところを、浅はかな役所の判断で転居先がストーカーに伝わり命を奪われる事件があった。

 

税金を搔き集めるくらいの勢いを全ての役所に求めたい。下手な闇金よりエゲツない取り立てを徹底して行うからだ。

しかも合法的に。

 

俺には信じられない。

自分の遺伝子を引き継いだ者を傷つける事を傍観出来る神経が。

実子だろうが連れ子だろうが子供に変わりはない。

どの子供にも計り知れない未来がある

良い未来か良くない未来かはどうでもいい。

理不尽な暴力でいかなる未来を摘み取ってしまうのは刹那い。

それを運命という一言で片付けられないし、片付けてはいけない。

 

生きていれば少なからずともストレスは生じる。

仕事、家庭、人間関係、親子関係。

子供が思い通りに育つという幻想をそろそろ忘れてみないか?

自分は親の期待通り応えている人生か?

そんな人間はいないだろ。

自分自身のキャパはそんなに広く無いだろ?

躾を他者に出来るスキルを持っているのか?

 

幼い娘を事あるごとに抱っこしていたら

怒られた事がある。

「抱きグセが付いたら困るからやめて」

「甘やかさないで」と。

母親に甘えたくて近寄る娘に怒鳴りつける。

「今、忙しいからアッチに行って!」

ドン引きした俺がいる。

抱っこを出来る期間なんて限られている。

娘が育つに連れ、自分は年老いて行く。

身体的にも娘を抱っこ出来る時期なんて人生の中のホンの一瞬。

出来る時に出来る事をしただけだった。

そんな思いを持つ親は多く無いのだろうか。

娘を産んでくれた事には感謝しきれない程、感謝している。

この先、心身ともに健やかに育つ事を願うばかり。願う事しか出来ない情けなさもある。

 

今回の父親と将来出会う事があったら、躾をしてあげたい。

思い切り理不尽な。

それくらいの憤りと怒りを感じる事件だった。

 

小さな命の大きな重さを忘れないでほしい。

 

己の犯した罪から逃れようと「躾」というワードを使うのは滑稽でしかない。

本格的に法改正を視野に入れないとダメなくらいモラルが無い時代に生きてるのも、何か意味があるのだろう。

やりきれない。

 

 

 

暴力教師

東京と神奈川の県境の、とある高校でのニュースが話題になっている

生活指導の先生を陥れる為に暴力を振るわせ退職に追い込む狙いだったという。

動画を見たが明らかにソレと見られる構図だった。

被害生徒?は狙い通りに事を運んだつもりだったろうが世の中そんなに甘くは無い。

詰めが甘かった。 

被害生徒とその仲間たちは個人情報が拡散されて自宅や携帯まで晒されている

 

確かに暴力を振るった方が悪い

それは誰もが思うことだろう。

しかし、実際に体験した方は分かるだろうが殴られる理由を作った側も罪に問われる。

そうしてお互いに罪を被るか示談するかという形になる。

昔で言う喧嘩両成敗。

しかし、今回の事件は両成敗にはならないと俺は思う。

計画性の悪質さもある。

己の自己満足の為に教師1人、その人の家族や管理者でもある校長や在校生の人生を狂わせるという事態まで想像出来ない浅はかさ。

事の責任は自身の親、兄弟、親戚にも及ぶだろう。

報道から1週間もすれば親の氏名、勤務先、家族構成まで晒されていく。

Twitterやインスタのアカウントは消せても晒された情報は一生消えない。

そして仲間であった生徒同士の責任のなすり付けあう滑稽さ。

辛くも同情してしまう。

人を呪わば穴二つ

大き過ぎる穴が必要になってしまったようだ。

この子たちがヴァーチャルから逃げるのは良いが現実から逃げるのは無理だろう。

最悪の事態にならなければ良いが…

しっかりと自分のした事の責任を潔く取って欲しいと思う。

社会的制裁がいつまで続くかは計り知れないが。

暴力を振るった先生は当然処分がまっている。

先生に対する批判や非難も理解出来るが、果たしてこの生徒は他の大人にも同じ事が出来たろうか?

 

子の責任は親の責任

親御さんもこれからイバラの道が待っている。

仕方ない事だ。

 

俺の時代は先生との距離感は保っていれたと思う。

もちろん悪い事をすれば殴られたりとかはあったが、それに対して親は警察やら何やらと大騒ぎはしなかった。

俺が悪さをしなければ殴られたりする事は無いと理解していんだろうと。

どこかのスレに有ったが義務教育から先で調子に乗るのは次元が違う。俺も同意見だった。

 

とても残念な子供達だと思う。

明るい将来は無いだろう。

特に自己擁護に走った子は。

 

 

はるかの向日葵

阪神淡路大震災から24年

初めてニュースで映像を見た時の衝撃は今でも覚えている

首都高速沿いのマンションに住んでいたので

高速道路が倒れてるのが信じられなかった。

子供の頃に高速道路を初めて見たのは高架下だった。

高架下の敷地を遊歩道や公園にしてあり、そこで良く遊んでいた。

17号から大宮バイパス手前まで続く高架下は遊歩道が続いていた。

そんな高速道路が崩れ落ちている映像。

走行中のトラックやバス、乗用車がギリギリ落ちないところで止まっている。

身近な物が自然の力により、見るも無残な形になっていた。

燃えさかる街並み。

伝えるニュースキャスターの真剣さが尋常では無い事を感じ取っていた。

当時の衝撃は遠く離れた東京で映像やニュースで知るしかなかった。

はるかの向日葵の話を知ったのは恥ずかしながら今日の今日。

当時、小学生だったはるかさんの家に咲いていた向日葵の種を近所の方が育て始め、様々な方の手に渡り今も咲き続けていると。

残念ながら、はるかさんは震災の被害で亡くなってしまっていた。

お姉さんがいて、震災前夜にはるかさんと喧嘩をしてしまい震災にあったという。

お姉さんの気持ちや残された方々の気持ちを思うと居た堪れない。

天災とは言え非業な事だと思う。

 

関東大震災から100年以上経過でしている

南海トラフ伊予灘地震大国の日本ではいつ何時に何が起こるか分からない。

日々の生活での他者との接し方。

大事な人たちとの接し方。

深く考えさせられる。

 

俺は以前から彼女と約束してる。

どんなに喧嘩をしても夜は1つの布団で寝ると。

「喧嘩しても一緒に寝れるの?」と聞かれた。

それでも俺はそうすると伝えた。

 

守るべき人を守れないのは辛すぎるから。

 

6434もの魂が安らかになれることを祈ります。

 

 

平成の終焉

あと4ヶ月で平成も終わる。

何十年振りかに穏やかな年明けを過ごせた。

孤独から逃げる様に人が休んでるのも気にならすに年がら年中働き続けた。

基本的に人混みが苦手な俺。

幾多の人が眼に入ると、人の唸りに酔うのか、すれ違う人達の余計な物を貰ってしまうのか。

多分、後者だと思う。

東京に居た頃から働き詰めだった。

何かをしていないと落ち着かない。

何も予定がない日がしんどかった。

月曜から金曜まで普通に働き、土日はバイト。

更には平日の夜もバイト。

金が欲しかったのでは無く、孤独から逃げていた。

東京を離れた今も休み無く働いていた。

精神的に疲れるよりも肉体的に疲れたいから。

GW、盆、正月と休んでも1日くらいだったが

今年は違っていた。

会社に対する不信感もあったが、8日も自らの意思で休んだのは初めてだ。

とても有意義な時間を過ごせた。

言葉を交わさなくても、側に居る安心感。

絶対的な存在感。

とても心地良い時の流れの中を漂っていた。

とても長く、とても短い時間。

目を覚ませばそこに居る。

孤独とはかけ離れた忘れかけていた感覚。

その時間を「シアワセ」と呼んで間違いないと。

人が死ぬ時は心臓が止まった時でも無く

脳が機能しなくなった時でも無く

肉体が滅びた時でも無く

他者の記憶から消え去った時に死んで行くのだろう。

幸か不幸か俺は味方も多いが敵も多い。

その人たちの記憶から消え去った時に俺は死んで行くだろう。

「憎まれっ子世に憚る」

どんな形であろうと人の記憶に残る存在になる事は良いことだと思う。

ある意味、生きた証になるから。

シアワセかと尋ねられたら

俺はシアワセだ。

毎日を過ごせているから。

黙っていても時は刻まれていく。

後悔しない事は無い。後悔出来るのは

己の過ちを認めている事。

同じ事を繰り返さなければそれで良い

 

 

 

知ってるけど知らない人

今年も残りわずかとなりました。

平成も終わりです。

昭和、平成、次の元号と3つの時代を過ごせるのは有り難いと感じてます。

 

長く生きていると良くない知らせも入ってきます。

スッカリ続きを書いてない洋介の話。

 

洋介には兄が5人居ます。

4番目と5番目の兄とは面識があり、幼い頃は一緒に遊んだりしてたし、成人してからも付き合いはありました。

5番目の兄は地元を離れ、遥か遠くの土地で人を導いて行く立場として生きていると。

4番目の兄は地元に居て、何年か前に会いました。

しかし1.2.3番目の兄は一度も会った事はなく会話をした事もありません。

 

長男の体調が悪く、長期に渡り闘病生活をしているのも聞いてました。

その長男が今年の秋に逝ってしまったと。

暫くは地元の人間と交流をしていなかったのでクリスマス前に聞きました。

一度も会わず、会話もせず、面識も無いけど、存在は知っている。

知っているけど知らない人。

 

そしておばさんの体調も悪く、仕事で家を空けることの多い洋介は、4番目の兄におばさんの身の回りの世話を頼んでもしてくれないと。

その為に仕事を少し考えて、なるべく家を空けることの無いようにするとかしないとか。

 

俺自身、身内を失う哀しみから、しばらく時間が経っていたので忘れかけていた想いが蘇って来ました。

洋介の胸中は痛いほどわかるし。

親父さんは小学校3年くらいの時に逝ってしまっている。

ここ最近、何度も親父さんの墓参りに行くように人伝てで言っていたけど動く事は無かったようで。

 

出会いと別れを繰り返して人生を歩いて行く

出会った時点で別れは決まっている

どんな形でも。男でも女でも。

 

今宵は洋介の兄への乾盃。

長い闘病生活から、やっと解放されたと想うようにしている。

俺の親父もそうだった。

もう25年も前の話だけど。