はるかの向日葵
阪神淡路大震災から24年
初めてニュースで映像を見た時の衝撃は今でも覚えている
首都高速沿いのマンションに住んでいたので
高速道路が倒れてるのが信じられなかった。
子供の頃に高速道路を初めて見たのは高架下だった。
高架下の敷地を遊歩道や公園にしてあり、そこで良く遊んでいた。
17号から大宮バイパス手前まで続く高架下は遊歩道が続いていた。
そんな高速道路が崩れ落ちている映像。
走行中のトラックやバス、乗用車がギリギリ落ちないところで止まっている。
身近な物が自然の力により、見るも無残な形になっていた。
燃えさかる街並み。
伝えるニュースキャスターの真剣さが尋常では無い事を感じ取っていた。
当時の衝撃は遠く離れた東京で映像やニュースで知るしかなかった。
はるかの向日葵の話を知ったのは恥ずかしながら今日の今日。
当時、小学生だったはるかさんの家に咲いていた向日葵の種を近所の方が育て始め、様々な方の手に渡り今も咲き続けていると。
残念ながら、はるかさんは震災の被害で亡くなってしまっていた。
お姉さんがいて、震災前夜にはるかさんと喧嘩をしてしまい震災にあったという。
お姉さんの気持ちや残された方々の気持ちを思うと居た堪れない。
天災とは言え非業な事だと思う。
関東大震災から100年以上経過でしている
南海トラフや伊予灘。地震大国の日本ではいつ何時に何が起こるか分からない。
日々の生活での他者との接し方。
大事な人たちとの接し方。
深く考えさせられる。
俺は以前から彼女と約束してる。
どんなに喧嘩をしても夜は1つの布団で寝ると。
「喧嘩しても一緒に寝れるの?」と聞かれた。
それでも俺はそうすると伝えた。
守るべき人を守れないのは辛すぎるから。
6434もの魂が安らかになれることを祈ります。