広島
縁があって、新宿生まれ23区スラム街育ちの俺が広島に移住する事になった。
簡単に言えば出向に近い。
全国展開してる会社のグループ会社への出向。
プライベートも含めて都合が良く、俺は広島に行く事にためらいは無かった。
「仁義なき戦い」を観て、何となくだけど広島に親近感は抱いていた。
しかも叔母が広島に住んでいたからだ。
一つ下の従兄弟もいた。
広島市から西に位置し、車で15分も走れば山口県に行けたギリ広島市だった。
驚いた事が2つあった。
1つはいわゆる大人のイジメ。
出向先には未だに派閥的な物があり、東京から舞い降りた俺は引き手数多な状況だった。
3つの派閥があり全ての勧誘を断った。
俺は仕事をしに行っただけだから。
会社に雇われているのは俺。
派閥争いに巻き込まれても、何の得にもならない。
しかし、彼らはそうで無かった。
業務連絡は勿論伝える事は無く、社会人として挨拶さえしなくなった。
商人が自身の社内で挨拶も出来ないなら、カスタマーに挨拶も出来ないと俺は思う。
二言目には「東京もんは違うのぉ」
業務に支障が無ければ気にもしなかったが、案の定、上司に咎められた事案が起きた。
俺は各派閥のNO.2を呼び出し本性を出した。
外堀から埋めて行くのが一番、率が良いと思ったから。
次の日からは俺が思う組織として機能するようになった。
少し時間を費やしたが、大人として対応しただけ。
もう1つは8/6の朝に何も無い事だった。
東京では8/15の終戦祈念日に義務教育の学生は登校し、黙祷を捧げるのが常だった。
勿論、8/6は広島市民の登校日になっていた。
広島に来るまでは報道等で8/6の様子を見ていたが、実際に報道通りなのは平和記念公園での式典のみであった。
平々凡々に時を過ごしていた光景に、俺は動揺した。
広島に根付く企業なのに朝礼も無く、黙祷を捧げる事も無く普通に仕事をしていた。
広島市民にとって意識が薄くなってるのは、東京人の俺にでも感じ取れた。
「慣れ」なのか「無関心」なのか。
俺には理解が出来なかった。
広島に来て5年で俺は転職した。
転職先も似た状況だった。
俺が転職するまでに3つの派閥のトップは退職していた。
そんなもんだろう。
自分自身を信じて物事を決めたのなら、責任転嫁は出来ないし負い目は誰にも無い。
俺はそうして生きてきた。
これからも、そう生きて行く。