広島が一番暑かった日
初めて「広島」「原爆」と言うのを知ったのは
小学生高学年の時だった。
授業で図書室の本を読み感想文を書くことだった。
ふと目に入ったのが「はだしのゲン」
マンガだったので先生に聞いてみたら、それでも良いと。
そうして戦争、原爆、広島と知っていった。
まだ戦争自体がよく分からない歳だったが
壮絶な内容であり、衝撃を受けた。
フィクションでは無い、作者の体験に基づいた内容だと先生に教わった。
戦争という題目の中で一瞬にして何十万の魂を消し去り、残った者たちの人間ならではの醜さ、卑屈さが如実に描かれていた。
大人になって読み返す機会があり、当時と違い深々と考えさせられる。
そんな広島に縁があり、十数年前に訪れた事がある。
原爆資料館は、想像以上に壮絶であり、それまで得た知識など全て吹っ飛んでしまった。
百聞は一見にしかず。正に体感した。
そして大和ミュージアム。
実物の戦艦武蔵の砲台や大和の甲板を再現した上にある平和の鐘。
零戦のエンジンと人間魚雷。
エノラゲイからの原爆投下の映像。
全て衝撃すぎた。
中でも16歳の兵士が人間魚雷で米艦に特攻する前に母へ宛てた手紙の朗読。
時間にして、そんなに長くは無かったが
とてもとても切なく哀しい、言葉では言い表せない感情を覚えた。
涙が止まらなかった。
先人たちの魂が受け継がれ、現在が有るのだと。
同時に若い頃に単車に乗って特攻だの何だのとほざいてた奴らに強い怒りを覚えた。
「死」を覚悟して死ねる訳が無い。
未練は絶対に残る。
そんな先人たちの事を思うと祈らざるえない。
自分の先祖もそうだけど感謝の念を送ります。
コレを読んだ方も、一瞬で良いから先人たちに「感謝」をして頂けたらと思います。
73年前の午前8:15。
何十万の魂たちへ追悼の意を表します。
今を生きてるのでは無く
生かされてるのだと強く思います。
故に広島戦での中日ファンの「広島倒せ、原爆落ちろ」のコールは強い怒りを感じてます。